Корисник:粉末酒
粉末酒とは、日本では「溶解してアルコール分1度以上の飲料とすることができる粉末状のもの」と定義された酒類の一種である(日本国法定の「度数」とは、15℃の環境下で容量を計測し、酒類に含まれるアルコールの量を百分率(%)で示した数値を言う)(酒税法)。英語では、alcohol powder、powdered alcohol、alcohol-contaning powderなどと呼ばれる(英語版:alcohol powder)。
概要[уреди | уреди извор]
粉末酒の酒税法での定義は、製造者が指示する方法を含む、何らかの方法で溶かされ、容量の1%以上のエチルアルコール(慣用名:エタノール、和名:酒精)を含む液体となり、人が飲むのに不都合の無い状態にすることができる、粉末の形態を採る固形物の事を、粉末酒と呼ぶ、という事を意味している。この時の気温は法が定める度数計測の温度15℃が常温とされる。法では、溶かす前の粉末について、原材料や製造法等の内容や粒の大きさ等、詳細については特に定めてはいない。[1]
尚、法の趣旨から、基本的に粉末酒を溶かす媒体は水であると解釈されている。また、酒類を原料に使った固形物でも、形状が粉末でなければ酒税法の対象外となる、と解釈されている。[2]これは比較的多くアルコールを含む食品、例えば、酒粕や奈良漬などを、法が酒類として規定していない事と同様である。[3]
粉状の固形物を適温の水に加え入れて、そのまま飲用できる飲食料品には、例えば、粉ミルク、フリーズドライコーヒーやインスタントスープなど、製法は異なっても基本的には原材料をそのまま乾燥させたものが各種小売されている。[4]
粉末酒が報道などで扱われる場合、「粉末化」という事を「乾燥」という風に表現される事が有る。[5] 酒類については主にエチルアルコールが水より沸点や融点が低いなどの物性によって、そのまま乾燥させて粉末化した商品を製造することは現実には不可能である。実際には、適切な補助材料を使ってアルコール飲料をマイクロカプセル化し、粉末状のものを作る、という手法が使われている。[6]
歴史・技術・販売[уреди | уреди извор]
1966昭和41年)、世界初の粉末酒が日本で発明された。[7] [8]調味料メーカー佐藤食品工業株式会社(愛知県小牧市)が、マルトデキストリンと、粉末化の対象となるアルコール飲料との混合物に対して、噴霧乾燥(スプレードライ)法によるマイクロカプセル化技術を用いる事で実現させた。[9] マルトデキストリンは、食品などの粘度の調整にも使われることのあるデキストリンの一種である。
(アルコール飲料の乾燥(この場合、粉末化の意味)の過程を簡単に説明すると次の通りとなる。
- 混合物をノズルを通して噴出させて霧状にし、高温の気流で乾燥させる。
- 噴霧された混合物は微細な液滴となり、形は球となる。
- 熱により水(一番小さい分子)が一番早く抜け、球の表面付近に皮膜ができる。
- 更に水分が抜けて皮膜が適度に固まると、球はカプセルとなる。
適切な条件下では、アルコールとデキストリンの混合物を封じ込めたマイクロカプセルが大量に作られ、最終的に粉末となる。ここで水分は90%程度除去できる。一方、アルコールも10%程度だが除去されてしまう。[9] こうしてできあがった粉末酒を、水を加えて飲める状態の液体にすると、デキストリンで少しだがとろみがつく事も加わって、粉末化前後では後の方が味が劣ると言われる。[6]
製品としては、粉末状態で重量で30.5%のアルコールを含んでいるとされている。[2]
同社は粉末酒を、同社の他製品同様、業務用に販売している。用途は、菓子類、プレミックス(から揚げ粉等)、スープや飲料類(但し、飲用時のアルコール度数は1%未満)など、加工食品全般で多岐にわたる。更に、化粧品や薬品、飼料など、幅広い利用も勧めている。[10] しかし、飲用の酒類として小売したことはないとしている。[11]
同社が粉末酒を飲用で販売する為の活動を行っていた事実はある。
例えば、1977年(昭和52年)、アメリカでシアトルの販売代理店と提携し、同社製品を「SureShot」という名で販売しようとしている様子が、AP通信の配信を受けた新聞に、投資家の期待などと共に描かれている。[5][12] また、1983年(昭和58年)には同社は「アルコック・ライトカクテル」という製品で賞を受けた事もある。[8]
1981年(昭和56年)の酒税法改正で、正式に「粉末酒」として認可された。同社が作り出す、酒類を封じ込めたデキストリン類の粉末状固形物は、法的に酒類として扱われる事になった。同社は初の粉末酒酒造免許を取得した。[8]
以来、今日に至るまで、同社は世界で唯一、粉末酒を製造する企業であり続けており、現在、同社は世界17カ国で粉末酒の製造方法について特許を取得しているという。[7]
その他[уреди | уреди извор]
21世紀に入り、欧米の幾つかの国で粉末酒に関して「発明」や「販売」などの話が散発的に報道されている。Web検索で、例えば、アメリカでの状況などを見つけることができ、その中では持ち運びのし易さなどが指摘される事がある。[13] しかし、実際には粉末加工後は、加工前と重さが同じでも、粉状になった為にかさばる。[9] 袋に詰められた粉末酒が、一般的な意味で持ち運びし易いものと感じられるかは、パウチ状容器入りの液状酒類が販売されている日本では特に、疑問であると言える。
上記の1977
の新聞は、佐藤食品工業が食品原料として粉末酒を販売している事に続けて、こう書いている。The Japanese say they haven't used the powder for beverages because liquid liquor is readily available.
つまり、日本人は、手軽に液体の酒類を入手できるから、飲む酒用に粉末酒は使っていない、という話である。
更には、常識的に、加工賃を反映させると、加工前の製品より値段が上がる。粉末酒が飲み物用として本当に良いものなら、唯一のメーカーである同社が、本格販売に踏み切る。人々が求めるなら、継続的に販売する。他社も参入する。しかし今のところ、そうなってはいない。
また、アメリカのあるサイトでマルトデキストリンと酒類を混ぜただけのものを「粉末酒」と紹介しているが、カプセル化されていない為、水分はそのままなのに、アルコールは蒸発し易いと、状態の良いものではない。当然、飲む為には水を更に加えなければならない。[14] 但し、日本では、これを作る場合、個人的に自家用などと称しても、酒税法の粉末酒の定義から「粉末酒の製造」と見なされ、粉末酒製造免許を持っていない者であれば、当局から違法行為(密造酒製造)と指摘される可能性を考えて、注意する必要がある。
以上については、英語版Wikipediaの項目「alcohol powder」 で、本項よりも詳しい記述、例えば、製造技術の科学的解説、佐藤食品工業の粉末酒売上の推移、粉末酒を巡る欧米各国の動向など、を見ることができる。
脚注 ・参照[уреди | уреди извор]
- ↑ 2,0 2,1 粉末酒Q&A、佐藤食品工業(株)
- ↑
"消費税の軽減税率に関する検討について" (PDF)、与党税制協議会、2014年6月5日、自由民主党・公明党
・ 酒粕、粉末酒は「酒」か否か。 ・ ウイスキーボンボンや日本酒ゼリーなど酒を使用した加工品は「酒」か否か。
- 酒類の定義は、法の改変や解釈変更などで、変わる可能性が常に有る。
- ↑
製造技術 天野実業(株) (通称、アマノフーズ)
- スプレードライやフリーズドライをはじめとする食品の乾燥技術が写真入りで丁寧に解説されている。
- ↑ 5,0 5,1 "Dry martini? Powdered booze is punch in a pouch" (AP通信配信記事、英語)、シアトル・タイムズ、 1977年(昭和52年)6月8日(アメリカ)
- ↑ 6,0 6,1 粉末酒・合成清酒(PDF) 『お酒のはなし』平成17年(2005年)3月30日 第7号、P.6、酒類総合研究所 (NRIB).
- ↑ 7,0 7,1 製品情報、佐藤食品工業(株)
- ↑ 8,0 8,1 8,2 会社沿革、佐藤食品工業(株)
- ↑ 9,0 9,1 9,2 9,3
佐藤 仁一 (SATO, Jinichi), 栗栖 俊郎 (KURUSU, Toshirou) (佐藤食品工業(株)) "含アルコール粉末" (PDF) 日本食品工業学会誌、Vol. 33 (1986年) No. 2, P.161 - 165、日本食品工業学会 (後、日本食品科学工学会)
- 粉末酒のマイクロカプセルの電子顕微鏡写真掲載。 - ↑ 粉末酒、佐藤食品工業(株)
- ↑ "米国で認可の「粉末アルコール」、日本にはすでに存在していた" ", 日刊SPA! 2014年(平成26年)4月24日
- ↑
"SureShot"の写真、 bevlaw.com、Lehrman Beverage Law, PLLC (ラーマン・ビバレッジ法律事務所(有限責任法人))(アメリカ)
- 写真中、奥に位置する容器から"SureShot"の商品名や"Instant Powdered Cocktail"などの言葉が読み取れる。 - ↑ Google検索-キーワード=粉末酒 アメリカ 持ち運び
- ↑ "HOW TO MAKE POWDERED BOOZE" (英語)、popsci.com (ポピュラーサイエンス), 2014年(平成26年)4月22日(アメリカ)